BY マンデラ恵子 · 2020年4月28日
皆さん、こんにちは。
現在私たちは、自粛生活。
バリ島にお越しになられたくても来ることのできない時期ですね。
こんなときは、バリ島空想歴史旅行にでてみませんか。
バリ島には、日本と同じように神話がたくさん残っています。
日本でもバリ島でも神話の中には、私たちが学ぶべきことがたくさん織り込んであります。
そして、その国の成り立ち、文化、歴史や習慣を知ることは、その国を知ることになり旅行をしていても旅行が倍楽しめます。
あなたがいつの日か訪れるバリ島旅行は、何も知らないで訪れるよりも、こんなお話を頭の片隅にでも置いて頂けたら…もっと楽しいものになるかもしれません。
バリ島に伝わる神話の一つを今日は、ご紹介致します。
この神話は、観光地としても有名なキンタマニー高原が舞台。
この神話を説明するのに舞踊の写真も使用しています。以前、このお話にあわせて、プリアタンの古典舞踊男性グループが、1930年頃にはすたれてしまった男性だけのレゴングループを2012年に復活させ、バリ島の神話を再構成し舞踊化をしたことがあります。
それでは…
—————————————————————————————————–
昔々、バリ島にジァヤ・パングス王という王様がいました。
ある日、中国の船がバリ島の沖合で座礁し、その船に乗船していたカンチンウィという美しいお姫様がバリ島に上陸をすることになりました。その美しさに一目惚れしたジァヤ・パングス王は、王宮にお姫様を招待しました。
そして、王はカンチンウィ姫に求婚しました。宗教の違いもあり周囲から結婚を反対されましたが、ジァヤ・パングス王は皆の反対を押し切り結婚式を遂行しました。その結婚式の日は、暴風雨が吹き荒れ、ひどい天候となり、その後に起こる出来事を予感させるような大変な結婚式となりました。
王宮も泥に埋まってしまったため、結婚後はバトゥールの地域に、バリンカン宮殿(バリンは、バリ島、カンは、漢人)を再建して、二人は仲良く幸せに暮らしていました。
そんな中、なかなか子宝に恵まれなかった王は、瞑想をするためにバトゥール山へ山ごもりにいきました。
そこで王様は、湖の女神デゥイ・ダヌと出会い、結婚をし、子供も授かります。
(女神デゥイ・ダヌと王様の舞)
王妃カンチンウィは、行方不明になった王様を探し続け、湖の岸にたどり着いた時、王様と湖の女神デウィ・ダヌそして息子に出会います。
カンチンウィは、驚きとともに激怒し、女神デゥイダヌと戦いになりましたが、女神デゥイ・ダヌも王様に妃がいたことを告げられていなかったことに怒り、王様を殺そうとします。それをみたカンチンウィは王様を助けてくれるようにデウィ・ダヌに懇願します。その姿を見たデゥイ・ダヌは王様とカンチンウィ妃を大きな人形に変え、バリ島の村々を守るよう言い渡し、息子を連れてその場から立ち去ったのでした。
その人形、”バロンランドゥン”が、今も村の御神体として村々を守り続けています。プリアタン村には、たくさんのバロンランドゥンがご神体としてお寺に祀られています。
(お寺に収められているバロンランドゥン)
黒い大きな男性の人形がジァヤ・パングス王のジェログデ、そして白い女性の人形がカンチンウィ王妃のジョロ ルーと呼ばれています。
こちらは現在もある、ウルンダヌバトゥール寺院の中国寺院…世界遺産にも登録されたウルンダヌバトゥール寺院の中にある中国寺院ですね。
この神話は、バリ島の文献より抜粋しました。
・別な文献では、王様が湖を船で渡っている時に、急に高波にさらわれ湖にのまれてしまった。という内容の伝承もあります。
・また、カンチンウィは、商人の娘という言い伝えもありますが、この10世紀前後は、ジャワ島に世界最大の仏教遺跡ボロブドゥールが建設され、スマトラ島にもシェリーヴィジャヤ王国(7世紀-13世紀)がマラッカ海峡を制圧し、南海貿易をコントロールし、仏教文化を繁栄させ多くの高貴な中国人も行き来していたことから姫説を選びました。
是非、神話と共にバトゥール山と湖、そしてウルンダヌバトゥール寺院へ訪れて下さいね。